バラの歴史

バラの歴史 3

大航海時代を経て、東洋のバラが起こした革命

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●中国のバラが果たした役割●

中国では古くから庚申バラという四季咲き種が栽培されていました。
その中でヨーロッパに持ち込まれてバラの進化に大きな影響を与えた中国バラが2系統4品種あります。


一つは、四川省原産のロサ・キネンシス系統の赤いバラ「スレイター・クリムゾン・チャイナ」で、1792年に東インド会社のプランターハンターだったギルバート・スレイターによってイギリスに持ち込まれました。
ヨーロッパにはそれまで深紅のバラがなかったのですが、このクリムゾン・チャイナが真っ赤なバラ「ロサ・キネンシス・センパフローレンス」の祖先になったのです。


さらに1793年には同じロサ・キネンシス系統の「パーソンズ・ピンク・チャイナ」(学名「ロサ・キネンシイ・オールド・ブラッシュ」)が紹介され、この二つの品種によって、ヨーロッパのバラは四季咲きと木立性という革新的な遺伝子を獲得したのです。


では二つ目の系統、雲南省原産のロサ・ギガンティアはどんな貢献をしたのでしょう。
この系統から1809年にヨーロッパに持ち込まれたのが「ヒュームズ・ティー・センテッド・チャイナ」と「パークス・イェロー・ティー・センテッド・チャイナ」。
名前から想像がつく通り、紅茶に似た香りを持つバラで、ティー・ローズの祖先になりました。
さらに「パークス・イエロー」は淡い黄色の色素と花びらの先端が反り返る剣弁咲きの特性を持っていました。
これら4つの品種が交配されたことで、高芯剣弁、四季咲き、お茶の香り、木立性といった現代バラの形ができあがっていったのです。


その理想のバラ、ハイブリッド・ティー(HT)の第一号が、1867年にフランスのギョーが発表した「ラ・フランス」です。
このバラから後の品種をモダンローズと呼び、それまでのオールドローズと区分けされています。

 


●日本のバラが果たした役割●

日本に自生していたバラの原種の中で、ノイバラとテリハノイバラが進化に果たした役割も見逃せません。

房咲きの特性を持つノイバラとの交配でフロリバンダが生まれ、テリハノイバラの蔓が伸びる特性を取り入れてツルバラが作られていったのです。
現代バラの四大系統は、「ハイブリッド・ティー」「フロリバンダ」「ミニチュア」「クライミング(つる)」となっています。
これを見ても、中国と日本のバラの功績の大きさが分かります。
ところがバラの栽培自体は、中国でも日本でも、近代になるまで主流ではありませんでした。
特に日本では明治時代まで全くと行っていいほどバラの育種はされていませんでした。
日本の花は仏に供えるものがメインで、刺のあるバラは敬遠されたからだと言われています。

 


●ジョセフィーヌの功績●


バラの進化を語る上で必ず出てくる女性がいます。
フランス革命の後、皇帝の座についたナポレオン一世の妻ジョセフィーヌ(1763~1814)です。
子供が出来ないことを理由に離婚した後も、ナポレオンの強大な支援を受けたジョセフィーヌは、マルメゾン宮殿の庭に約250種のバラを集め、交配も行わせていました。
さらに、画家のピエール・ジョセフ・ルドゥーテに命じてバラの精密な絵を描かせ、世界初の「バラ図譜」も出版しました。
ジョセフィーヌ自身は出版前に亡くなってしまいますが、この図譜はバラの貴重な資料として、また、ボタニカル・アートの傑作として世界中で出版され、今現在も手に入れることが出来ます。

 


●日本のバラの発展●


前述の通り、日本では明治になるまでバラの育種がほとんど行われていませんでした。
最初にバラの育種に取り組んだ人として園芸家の岡本勧治郎(1899~1985)の名前を挙げる人もいますが、やはり、鈴木省三(1913~2000)の登場と共に日本のバラ育種が始まったというのが事実でしょう。
鈴木先生は東京府立園芸学校(現在の都立園芸高校)で造園、育種学を学んだ後、1938年に世田谷に「とどろきばら園」を開演し、バラの生産と育種に乗り出します。第二次大戦後は谷津遊園のバラ園を作ったり、京成バラ園の所長をつとめたりする傍ら、「聖火」「かがやき」「芳純」など名花を次々と送り出しました。まさに日本が誇るミスター・ローズなのです。


その鈴木先生がご自分で育てていたバラを受け継いで作られたのが、現在の都立園芸高校バラ園です。
このバラ園は、オールドローズからモダンローズへの変遷、つまりこのページで述べて来たバラの歴史を辿ることが出来るようになっています。
他のバラ園とはひと味違う素晴らしいバラ園へ、あなたもぜひおいで下さい。